NPO三郷サンサンハウス
理事長の部屋

いろんな人との出会いや出来事で感じたことを書き綴ることにしました。
読みづらい文章ですが、ご意見や叱咤激励をいただけると嬉しいです

感・喜・希

毎日日記を書いておられるFさんは97歳です。100歳まであと3年なので、3年日記を買ったとのこと。100歳まで頑張ろうと気を張らず、一日一日を記していけば いずれ100歳になるかもと笑って仰います。

毎日書くことあるの?と聞かれることもあるそうです。コツは「感・喜・希」ですよと教えてくださいました。

日々の暮らしの中には、感謝や喜び、希望がたくさんあるでしょう、例えば今日あなたが来てくれたことに感謝ですよと、訪問した私が嬉しくなる言葉をかけてくださいます。

時には体調が悪かったり、気分が落ち込んだりすることもあるかもしれません。でもそんな日でも必ず「感・喜・希」があり、それを見つけられることがとても素敵だと感じました。

高齢になると身体的にも生活面でも、何らかの支援が必要になってきます。ですが、今まで生きてこられた様々な経験から、若い世代の私たちに教えてくださることがたくさんあります。

そうして、お互いにかかわり、つながり、一緒に歩んでいくことを大切にしていきたいと思っています。


2023.7.6 重松知子

遅ればせながらのご挨拶

日頃は三郷サンサンハウスに温かなご支援をありがとうございます。
設立者の上野登志子氏から理事長職を引き継ぎました重松知子と申します。

お陰様で定例総会を無事に終えることができました。理事長職を引き継いでからあっという間の1年でした。

ホームページの更新もできないままに、また、新型コロナウィルス感染症流行の状況下から皆様になかなかお会いできる機会も少ない中、ご挨拶が遅くなりましたことお詫び申し上げます。

NPO三郷サンサンハウスの立ち上げから20年が過ぎ、介護保険制度をはじめ、私たちの暮らしでも様々な変化がありました。

ですが、変わらないこともあります。「住み慣れたまちで最後まで住み続けたい」との思いに、私たちができることや、必要なことを一緒に考え寄り添っていくことは、これからもずっと変わらない三郷サンサンハウスの使命です。

課題はたくさんありますが、職員一同力を合わせて取り組んでまいりますので、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
  


2023.7.6 重松知子

サンサンハウスのこれまでとこれから

2021年の出発は、新型コロナの脅威の中、里帰り、旅行、初詣さえ躊躇する新年となりました。

高齢者の介護事業所は利用者の健康・生命を守るため、自分の事業所内は勿論の事、ひとり一人の利用者に関わる事業所が連携し、細心の配慮をもって介護に取り組んでいます。

 さて、2002年(平成14年)11月 「住み慣れたまちで最後まで住み続けるために」とNPO法人三郷サンサンハウスを立ち上げました。 それに関わった者たちは、それより10年余り前から、年をとっても住み慣れたこの町で住みつづけたい。 このサン郷町でサンサンと輝く老後を送りたい。と願って同好会「サンサン会」をつくりました。困った事や悩みを話し合ったり、楽しいハイキングに出かけたりする中で、10年余が過ぎ、三郷町に要望していた町営高齢者住宅建設も望み薄、お互い60歳半ば高齢期を迎え、自分たちの力で何かできないかと話し合いの中から、幸運にもNPO法人三郷サンサンハウスの設立に至りました。

「あきらめなければ何とかなる」高齢者のしたたかさが生みの親。今では、その高齢者も、願いどおり、サンサンハウスにお世話になって亡くなった者、お世話になっている者が「住み慣れた町」で住みつづけています。

さて、三郷サンサンハウスは2004年(平成16年)1月から事業をはじめました。初めは、居宅介護支援事業と訪問介護事業を始め、あかねの里の完成を待って同年4月から 、高齢者の家(住宅型有料老人ホーム)と認知症通所介護をはじめました。今では、介護保険事業として5事業、障害福祉サービス事業として3事業、介護保険外事業として4事業を行っています。 各事業については、ホームページや年3回発行しているサンサンニュース(ホームページに掲載)紹介しています。

介護保険事業が始まって20年経ちました。高齢化社会、核家族社会を支えるために必要な事業が増えています。その1つ小規模多機能型居宅介護支援事業はまだまだ認知度が低いですが、ひとり暮らしや高齢者のみの家族、ご家族が仕事をされている場合、通い・訪問・泊りのできるこの支援はとても喜ばれています。

小規模多機能居宅介護支援事業がまだ介護保険事業にない頃、サンサンハウスでは、デイサービスあかねの里やヘルパーステーションの利用者や地域の高齢者を、すでに行っている高齢者の家あかねの里の機能の活用やヘルパーステーションの協力で泊りや夜遅くまでの見守りを行いました。当時私も高齢者の家の夜勤や夜遅くまであかねの里で支援に当たりました。

 地域の高齢者の暮らしを支えることを使命とした私たちは、サンサンハウスの機能をフル回転して支援する「小規模ながら多機能支援をする事業所」と意気込んでいました。

介護保険事業に「小規模多機能型居宅介護支援事業」が位置付けられた時、何とかこれに取り組みたいと考えましたが、新たに事業所をつくる資金もない中、この知名度のない事業に取り組む無謀さを痛感しました。一番のネックは、利用者はこれまで関わってもらったケアマネージャーから離れ、小規模多機能のケアマネに替わらなければならないことでした。当時、ケアマネージャーからこの新しい事業に紹介していただくことがなかなか困難でした。

そのような時、大きな介護事業所ではできない一人一人に寄り添った介護をしたい、小規模多機能の介護をしたいと入職する職員もあり、大変な困難を乗り越え「萌の里」は生まれ、みんなで守ってきました。今では、地域の方々の理解や支援を得て地域に根付く事業所になり、「こんな制度があったのか」と喜んでいただけるようになりました。

また、職員が「こんなものがあれば皆さんに喜ばれるよ」と提案して始めた「サンサンサロン」「たすけあいの会」などは介護保険適用の事業ではないので、経営的には採算が合わない事業ですが、高齢者の家あかねの里に入居されている方の家を無償でお借りし、ボランティアの力を借りて事業を始め20年近くになりました。

存在意義を問いながら、使命感を大切に歩んできたサンサンハウスは今では若い職員が中心になって頑張っています。また、地域のたくさんの方々に多額のご寄付など支援いただいています。 60代半ばに取り組んだ事業が、このようにたくさんの方々に支えられ発展し、若い後継者にバトンタッチできることは、私にとって身に余る幸せです。

利用者の皆様、地域の皆様、また、私たちをご指導、ご支援下さった関係者の皆様、サンサンハウスの職員は理念を大切に、後継者を育成し、地域に愛され必要とされる事業所を守っていきますので今後ともよろしくお願い申し上げます。

  


2021.2.19上野登志子

私の介護記録 その5

毎朝雨戸を開けるとお隣の梅の花が目に飛び込み、体感より心が温まります。それも満開を過ぎ、間もなく春本番です。

理事長の部屋の更新が出来ないまま、これが最後の「私の介護記録」になります。

昨年11月23日夫を見送りました。あと1週間で病に倒れて丸5年でした。生命力の強さに感心というより、感動していました。大きな脳梗塞で左脳がすべてダメになり、話すことも、食べることも、寝返りさえできない5年でした。それでも、娘や孫たちの声はわかり、笑顔のような変化が現われ、「お父さん」「おじいちゃん」の声掛けに答えていました。

倒れて5ヶ月の入院生活から、家で介護したいと思うようになり、実際にできたのはサンサンハウスの中川ケアマネのおかげです。自らの体験から、在宅で看取りたいと願う家族の希望を応援し、医師や介護事業所と連携して在宅看護の支援体制を整えて下さいました。

「よく看病したね」と言って下さいますが、私は夫に「よく辛抱して頑張ってくれたね」と感謝しています。年明けには90歳の卒寿をみんなで祝おうと楽しみにしていた矢先の死です。 とはいえ、その変化を看病する私も少しずつ受け入れていたのでしょう。

以前は褥瘡もひどくならずに完治し、その生命力の強さに驚いていましたが、数カ月前から 足先の褥瘡が懸命の治療も効なくひどくなる一方でした。

また、ヘルパーさんやデイサービスの看護師さん、訪問看護師さんが主治医と連携して体調 管理。訪問マッサージの先生も毎回酸素量や脈拍を測かってからの施術でしたから、皆さんから体調を聞き、状態を把握していたからかもしれません。

夕方、酸素量が少ない、血圧が低いとの報告で、主治医に往診依頼、「奥さんが不安になったらいつでも入院できるよう連絡しておきます」と手配いただきました。 

亡くなったのはその翌日の夜です。しかしその時はまさかそこまで死が近づいているともわからず、連休、気にしながら旅行に出かける娘たちに「大丈夫だから」と。

そういいながら、あまりに穏やかな夫に不安を感じたのでしょう、負担を軽くするために翌日のデイサービスは休み、救急搬送で車に揺られるのはかわいそう。少し栄養剤の注入量を減らし負担を軽くなど私なりに対処していました。夕方から呼吸の変化が気になりながら先生や看護師さんにも連絡が取れず、じっと見守るだけでした。

苦しそうな様子もなく相変わらず穏やかな表情だったので娘達への連絡もせず、私が静かに枕元に付き添っていました。最後の一呼吸がおわり、「えー!呼吸止まったの?亡くなったの?」という感じで、悲しみより荘厳ともいえる穏やかな死に驚きました。

たくさんの人がいたらバタバタしてお父さんの傍にいなかったかもしれない。これでよかった。私は一人で静かに見送ったことに満足していましたが、娘や孫たちはどうだっただろうと思うと申し訳ないことをしました。 

若い人の死は別として、どんなに死に向き合っている人でも、そうでない人でも、死は突然やってくる。残される者には寂しい悲しい死も当人にとっては救いであり、怖いことではない。  

まったく悔いの残らない死はないということを夫の死から学びました。

2019.2.15上野登志子

サンサンハウスの三つの理念

5月に第14回定例総会がおわり2ヶ月になろうとしています。その節は、正会員の皆様に大変ご迷惑をおかけしました。

一時は、今年度の申請を断念しようとも考えましたが、認定NPOを目指してから、たくさんの方が会員になったり、いろんな形で応援してくださっているのに勇気をいただき、申請作業を急いでいます。

利用者や地域の皆様に、これほど温かくご支援いただいていることに感謝し、ご期待に沿える事業所として成長しなければと痛感しています。

私たちは、進むべき方向や道を探す時、行き詰まって後ろを振り返る時、いつも「サンサンハウスの三つの理念」に戻ります。

NPO法人を創った時のみんなの思い(願い)は「年をとっても、病や障害をもっても、住み慣れたこのまちで、家で、安心して暮らしつづけたい」でした。「みんなで力を合わせれば願いは実現する」と軽い気持ちで理事長をお引き受けしながら、これが起業であるという認識に欠けていました。

事業を始めてからも、「こんなのあったら皆さん喜ばれるね」「こんなの出来たら助かるよ」という職員の声で一つ一つ事業が増え、職員も増えて行きました。

職員の給与やボーナス、会員の皆さんからお借りした多額の建設協力債。支払わなければならないお金や返済しなければならないお金は、営業利益から。この利益には税金がかかる。

企業として当たり前のことを、事業を始めてから気付く無知で無自覚な経営者でした。

この時、経営理念を明確にすることの大切さを学びました。

経営理念を @何のために事業をするのか Aどのようにしてすすめるのか B何を目指せばいいのか の3つの理念にまとめました。

@「住み慣れたまちで暮らしつづけるために幅広い支援をします」
A「利用者や地域の人々から信頼される事業所・職員として成長します」
B「安全・平等・平和な社会環境づくりの一端を

出来るだけ簡潔にと枝葉を刈りすぎたために、味気ない言葉になってしまいましたが、法人として、この理念に沿って、今、利用者ご家族や地域が必要とされていることは何か、どう取り組むかを議論しています。

それぞれの事業所は夫々の介護の心がけやモットーを大切に利用者への支援を行っています。介護事業所ではこの介護の心がけを理念としているところも多いですが、サンサンハウスでは法人を創った思いを大切にしながら、みんな(すべての人)が平等に安全で平和な暮らしができることを願い、微力ながら力を尽くすことを見失わず、さらに前進していきたいと思っています。

2016.7.20上野登志子

第13回定例総会

三郷サンサンハウスの13回定例総会が、平成27年5月24日に行われました。

平成14年11月に設立総会を開いて丸12年半、自分の老後が不安になる年代のものが中心と
なって結成しました。
誰かが特別財力や経験があるわけではなく、みんなで力を合わせればやれると楽観的で無欲な人たちの集まりから出発しました。

きっかけとなったのは、T様が質素な暮らしの中で蓄えられた大切なお金を施設用地資金に寄付くださったことです。
これに感激し、勇気づけられた人々が、老後の生活や子や孫の祝い事などのために蓄えていた預金を施設建設資金として出資してくださいました。

そのように、みんなの力で立ち上げた三郷サンサンハウスは「年をとっても住み慣れた街で住み続けたい」という多くの高齢者の願いを実現させていく事業所にふさわしい「特定非営利活動法人(NPO)」にしました。

NPOは儲けてはいけない。利益を上げてはいけないと誤解をしている方がありますが、NPOだからと言ってどこからかお金が出るわけではありません。
事業収益には税金がかかります。
収益で職員の給与や賞与をだし、事業を運営、発展、拡大させていかなければなりません。そのためには利益が必要です。これくらいのことは素人の私にもわかります。

法人の会員さんからお借りした資金(借金)をかえすのは利益からで、その利益にも税金がかかります。
100万円返済するには140万円くらいの利益がないと返せないということがわかったのはずいぶん後になってからのことです。

「地域や高齢者の声を大切に」と事業を始めて1〜2年後に、介護予防的なサンサンサロンや助け合いをはじめました。
ボランティアさんに助けていただきながら今まで続けてくることができました。
12ほどの事業をやっていると、社会的に必要とされながらも利益がなく経営的には困難な事業がいくつもあります。
また、同じ事業でも法人の大黒柱として支えている時期や赤字で他の事業に支えられて頑張っている時期など様々です。
法人全体として支え支えられて成長し、理念に沿った役割を果たしてきました。

昨年まで多くの課題を抱えていましたが、今年はやっとどの事業所もやや右肩上がりの安定した運営ができるのではないかと期待しています。
せめて、年間2ヶ月分のボーナスが出せ、期末にはわずかでも期末手当が出せたらとささやかな希望を抱いています。

いま認定NPOをめざしています。認定NPOになったら何かメリットでもあるの?と聞かれます。
たぶん、私たちには何のメリットもないのではと思っています。
事業監査が厳しくなり、書類一つもきっちりしなければならなくなるでしょう。
これは、面倒ではあるが、いつも姿勢を正して事業をしていくことは大切で、あえて厳しい環境に置くことが大切かと思っています。
ただ、寄付をくださった方が所得申告されるとき寄付金が控除対象になります。

今まで、私たちを応援し定期的に寄付をくださる方、特に高齢者の家に入居された方々から多額の寄付をくださる方があります。
入居の皆さんにはご家族の気持ちになって誠心誠意お世話させていただいているつもりでも、いつも反省することが多々あります。
そんな中でいただいた寄付金が少しでも所得控除されればと考えていましたので、早く認定NPOになるよう準備中です。

このようにたくさんの課題を抱えながら前進している三郷サンサンハウスですが、肝心の理事長の私が殆ど現場を離れています。事務局や管理者の皆さんには大変迷惑をかけています。
しかし、かえって事務局体制がしっかりし、管理者は事業所の職員と一緒に、事業運営や利用者への支援方法などの問題解決に取り組んでいます。
自分の頭で考え行動できる職員が育っています。
介護保険改定で厳しくなった事業運営ですが、みんなの努力で少し暗雲の中青空が見えるようになってきたように思えます。

そのような中、私は夫の看病に専念できるよう配慮いただいています。
脳梗塞で倒れて1年半、自宅療養になって1年がすぎました。
介護保険や医療保険をいっぱい使って今の生活が成り立っています。
時々思いもかけず私の体が動かなくなり介助できなくなります。
その時はヘルパーさんが駆けつけ助けてくださいます。ケアマネさんがショートステイ先を探し一時避難ができるよう支援して下さいます。

こうして老老介護の生活が成り立っています。

皆さんには大変ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いいたします。

2015.6.23上野登志子

今年もよろしくお願いします

2014年も2月の半ば、冬のオリンピックが始まっています。

ご挨拶が遅れましたが、今年もよろしくお願いいたします。

今日は2月14日、この冬一番の大雪、昼になっても重たい雪が降り続いています。デイサービス(あかねの里・くるみ)も休み、萌の里の通いも中止して訪問に切り替えています。
職員は出勤しましたが、坂の多い地域の雪道の車は危険。
それ以上に戸外での利用者さんが危険という判断で休ませていただきました。

昨年11月からはじめた「サンサンカフェ」も12・2月と当番の事業所の企画で毎回違った内容で楽しんでいただき、ここも職員の学びの場になっています。

日頃あまりお付き合いのない地域の方やお話が苦手な方の言葉にならない思いや悩みや願いに気づき、安心して心の内を打ち明けていただけ、それを受け止め、一緒に解決の糸を探っていける。そんな力を一人一人の職員が身に着けることができるよう成長してほしいと願っています。

インフルエンザ、流行性胃腸炎、介護保険の改悪、消費税アップそれに寒波と大雪。様々な攻撃に負けない体力を職員も事業所も身に着けなければなりません。

今年は、27年度からの介護事業3か年計画の骨子が作られる年です。
サンサンハウスも将来計画をしっかり立てなければなりません。職員一丸となって新しい夢に向かって出発です。

2014.2.14上野登志子

「サンサンカフェ」が始まりました

何時までも夏の暑さが続いていましたが、急に寒くなりました。
そのせいか、今年の紅葉は美しいように思います。

これから暮れるのが早くなると家が恋しくなります。
サンサンハウスの職員には小さい子どもを抱えて働いている方が沢山いますので、業務改善で残業が無いようにと考えています。
嬉しいことに働く人の業務改善に必要な経費の2分の1を助成する制度があり、これを活用していこうと取り組んでいますが、残りの2分の1を出すのが、予算外支出で経費捻出が大変です。

いよいよボーナス月ですが、職員の苦労に報える額が出せればいいのですが。
テレビで他の企業や公務員のボーナス○ヶ月というのを見るたびに私の胸が痛みます。

そのような中でもみんな笑顔で働いているのに、次の介護保険制度の改定で、軽度の利用者の切捨て、利用料の負担増などで、小さな事業所は存続が難しくなります。

管理職員たちで経営計画策定委員会をつくり、法人の理念の確認、理念に沿った事業計画、職員が活き活き働ける職場づくり等について 話し合っていますが、その中での発案で、11月から第1日曜日の午後の「サンサンカフェ」が始まりました。

利用者さんや地域の方がどんな支援を必要とされているか、一人で悩んでいらっしゃる方の声をくみ上げ、私たちにできることは、などなど、横で聞いている私も頭が下がる思いです。
1月はお休みしますが、第1日曜の午後はお友達を誘ってカフェ(くるみでやっています)にお越しください。
職員もボランティアで沢山参加しお出向かい致します。

介護保険の改定では、サンサンハウスがつぶれたら大変だと思って頂ける事業所にならなければと話し合っていました。

ここまで、成長した職員集団をみて、私の役割もぼつぼつ終りかと寂しいような嬉しいような心境です。

2013.11.28上野登志子

私の介護記録 その4

10月秋晴れの中、信州に1泊2日の旅をしました。
木曽山脈やアルプス山脈、昔来た懐かしい地名の道標など左右に見ながら夫から地名や歴史の話を聞いていると、長時間のバスも楽しいものでした。

夫が以前世話役をしていた団体での旅で、知った方々と一緒という事で安心して参加しましたが、大きなトラブルが起こりました。

夫の大好きな温泉の脱衣場の脱衣かごがトラブルの元でした。
同じ籠に同じバスタオルでは自分の籠が分からず、他の方の服を着てしまいました。
それも1度ならず2度です。

最初は服を着てふろ場から出てポケットの中身が違うのに気が付き世話役さんと脱衣場に戻りました。服の持ち主に謝り、別の肌着を付けた所へその持ち主が湯からあがって来られ、「それは私のだ、パンツとシャツの新しいのを用意しろ」とどなられ私が風呂場に呼ばれたのです。
私が見たのは、風呂場の脱衣場とはいえ、周りの人は浴衣や服を着た中で真っ裸でしょげている夫の姿でした。
世話役さんは夫のしたことであちこちに謝って下さって大変な思いをさせてしまいました。

これまでは、夫は物忘れをするが皆さんと一緒に行事に参加できるようお願いしていました。
そんな時、予想できる問題点や注意点を伝えもせず、「よろしくお願いします」だけで済ませていた自分の無責任さを痛感しました。

ひとつ一つ問題が起こってから気づき、気をつけなければと反省するのですが予想が難しいです。こんなトラブルが何回か起これば、迷惑掛けるからと私と一緒でないと出かけない、その内、一緒でも迷惑かけると家に閉じ込めることになるのではと気づきました。

春には斑鳩の法隆寺までひとりで散歩に出かけました。
そんな時は、自動車の多い国道は避け、行き帰りは国道の北側と南側と別コースで歩いているとのことでした。 

少し時間があると「法隆寺まで散歩しよう」が口癖でした。
主治医から「法隆寺は少し遠いからあまり行かない方がいいよ。ある日突然どんどん歩いて行き帰れなくなることがある」と言われ、そんな時を予想していなかった私にはショックでした。

今年の夏はとても暑かったので夫から法隆寺行きの話は出なくなり、秋になっても思い出さないようです。(少し体力が弱ったのかな)

夫が昔からかかわっていた会の記念集会が11月大阪の桜の宮で開かれるという案内を頂きました。
夫はその案内を見て「5千円もいるけど行ってもいいかな?」「僕の年金が入っている預金通帳残高どうなっているかな」と、お金のことを心配します。
大丈夫よ、行っていいよと言いますが、その案内を開けてみては同じことをいいます。
とても楽しみにしています。
桜の宮なんて知っているホテルは聞けばわかるといいます。
行かせてあげたいですが心配です。
会場までは私が一緒するか、後からそっと付いて行けば行けます。でも、その後何が起こるか心配です。

私の周りには認知症ケアの専門家が沢山いて夫の出来事を聞いてもらえますが、「認知症の人と家族の会」にも行ってみようと思っています。

2013.10.28上野登志子

第11回定例総会を終えて

6月16日特定非営利活動法人三郷サンサンハウス第11回定例総会が終わり、新しく理事を1名追加し、15名の理事で出発です。
私ももう1年頑張りますのでよろしくお願い致します。

平成16年、居宅介護支援・訪問介護・認知症対応型通所介護・共同住宅の4つの事業を20名足らずの職員で始めて10年目に入りました。

今は大小合わせて11事業を70人の職員が50名以上のボランティアさんの支援を得て取り組んでいます。

経営的には、昨年久しぶりで年間2ヶ月の賞与支給ができたところで、まだまだ職員の働きに報いる賃金が支給されているとは言えません。

この10年間で成長した第1は「ひと」特に若い人財の成長です。
管理者に介護の専門分野での能力アップは勿論、管理・経営能力が備わり、各事業所に反映されています。

「理念」を大切に、理念の目指すところを掘り下げ追及していこうという姿勢も育っています。
「みんなで考え・決定・行動する」仕組みがあり、さらに発展させていこうと自主的な取り組みが進んでいます。
其の要となる「ひと」も育っています。

もともと私は楽観的な人間ですが、心配なこともいっぱいあります。
ただ、「人を信頼する」「信頼したい」というのも人より強いと思っています。
今後1年間に後を託す人財が質・量ともに増えることを楽しみに、「人材」ではなく「人財」を蓄えたいと考えています。

2013.6.25上野登志子

高野悦子さんを偲んで

岩波ホール総支配人の高野悦子さんが先日亡くなられました。。
三郷サンサンハウスの前身であるサンサン会が誕生したのは、岩波のドキュメント映画「安心して老いるために」が三郷町コミュニティセンターで上映されたのがきっかけです。

1990年につくられこの映画は、その翌年サンサン会を誕生させ、今この三郷町で「三郷サンサンハウス」という花を咲かせています。

「魂を揺さぶる映画に命を賭け、手づくりの作品を手づくりの上映で観客に橋渡しをします」と語っていらっしゃった高野さんのお仕事が、日本の、いや世界のあちこちに種を蒔き花を咲かせていることでしょう。

「高野さん有難うございました」

2013.3.6上野登志子

私の介護記録 その3

昨年の10月1日に記録を書いて4ヶ月近く経ちました。
仕事を終えて帰った時「ただいま〜」と玄関で大きな声をかけ、 遅くなった時は「ああよかった!お腹がすいて倒れているかと心配したわ」「そんなことで倒れんわ」と、若い時代に帰ったような会話もでき、こんな生活もたのしいな〜と思える穏やかな日々がつづきました。

大きな変化が無いようでも、確実にできなくなったことがあります。薬の管理です。
10月には、声かけさえすれば、「薬を飲む」「目薬を注す」「記録票に○づけする」ができていました。> ところが、「目薬をさす」「薬を飲む」の区別が判らなくなってきました。
記録も出来なくなってきました。
今では、食後に飲む薬と注す目薬を目の前に出しておけば、終わったら、薬箱に入れることは出来ます。 記録はもう書くのをやめました。2年以上続けたことも習慣化は出来ませんでした。

図書館で借りた本を読破していましたが、今では、繰り返し読んでいるのか、なかなか読み終えるのに時間がかかります。でも、興味のある本の広告を切り抜きしたり、注文したりはしますが、どこまで読めるか判りません。
勿論読んだ中身を記憶にとどめ話をすることは出来ないでしょう。でも、興味をもって読みたいと思えることは大事と思います。

また、家族は本人の出来にくくなったところに気づき、失敗しないように気をつけることが大事だと気づかされました。
先日も、近くの温泉に行った時、靴箱のカギを無くし、衣服のポケットを全部探す等大騒ぎになりました。 勿論どの靴箱に入れたという事は分からない為、係の方が20ヶ所以上の靴箱を開けて探して下さいました。
翌日には、そんな大騒動も忘れていますが、その時の不安は大変だったようです。
そんな後は、暇があれば布団の中、トイレに度々行く(1時間に10回以上)などの症状が出ました。

どの靴箱に入れたか、鍵は預る等チョットした気配りで防ぐことが出来たのに、 私の手抜きが、病状をすすめることになることを痛感しました。
これからは、さりげなく行き届いた気配りを心掛けたいと思います。

                

2013.1.21上野登志子

私の介護記録 その2

9月29日台風が近づく中、平群の道を、「黄色に実った稲穂が台風になぎ倒されなければいいのにネ」と話しながら車を走らせました。
「大阪の海のそばの下町で育ったのに、こんな自然いっぱいの中で暮せるようになるとは!」と感慨深く話す夫。

つい先日、テレビで可愛い犬や猫をみて、「親父が飼っていた猫が親父のオーバーの上におしっこして、怒った親父が、猫を捨てて来いと言った。
妹と一緒に平群の東の山が迫ったところへ捨てに行った。」と懐かしそうに話してくれました。
築港の海しかない所で、どの山まで猫を捨てに行ったのでしょうか。

薬を飲み始めて1年余り経ちます。
数年後は治る薬が開発されるだろうから、それまで病の進行がすこしでも穏やかにと願っています。
新薬が良かった話を聞き、先生と相談し2か月前から新薬に変わりましたが、最近、症状が悪くなったように思い、元の薬に変えて頂きました。

何が良いのか、先生にも判断しにくいようですが、家族が少しでも詳しい状況を伝えることが大事かと思っています。

夫は、毎月薬の管理表を書いています。
横行に朝食後(飲薬・オレンジ袋目薬・黒袋目薬・歯磨)
昼食後(飲薬・オレンジ袋目薬・歯磨)
夕食後(飲薬・オレンジ袋目薬・青い目薬・歯磨)
縦列には1日(○曜日)〜月末まで

この表は1年以上の記録が残っています。
勿論、「薬お願いネ」が必要ですが、最近は、飲薬は?目薬は?記録は?と一つ一つ促す必要があります。

私には「ボケてるのやからはっきりいってもらわんとわからん」と言いますが、先生や友人には「指が震えて自分しか読めない字になってしまいましたが身体も頭も元気です」と言っています。

クイズや脳体操の迷路一筆書き等は徳意で、クイズに当選し「図書カード」を頂くこと数回。
高校生の孫にやるのを楽しみにしています。
少し困ることは、はがきを10枚次々と買ってくる事です。

本人も周囲の者も、どこが分からないのか、どこまで分かっているのかが分からない。
その一瞬一瞬はしっかり自己判断しているが、どの瞬間に忘れるか?何が判らなくなるか?が判らない。

家族は、「物忘れは誰にでもある、忘れた事を叱っても、なぜ?と問うても仕方がない」ことを肝に銘じ、穏やかに接するよう成長しなければと思う毎日です。

                                                                   

2012.10.1上野登志子

私の介護記録 その1

私は昭和12年11月生まれで、いよいよ今年中に後期高齢者に仲間入りです。

後期高齢者とはどういう意味でしょうか?
戦前・戦中に苦労をされた先輩の方を尊敬した言葉なんでしょうか?

民主党は後期高齢者の医療保険制度を廃止すると約束しましたね。
でも消費税と同じく公約違反になりそうです。

私は、戦時戦後苦労したといっても大したことはありません。

夫は昭和4年1月生まれ、幸い戦場に行かなくて済みましたが、母は戦災で焼死、父は職を失い、苦労して育ちました。
本を買うために、電車に乗らず歩いた事やリンゴやおからを食事代わりにしたなどの話は、夫の口から出ると楽しい話のように聞こえます。

夫と同じように、金銭に苦労し、苦学した人は沢山います。
夫がそのような境遇から、お金に執着しないで戦争を憎み、みんなが幸せに暮らせる社会の為に努力してきた事は偉いと思います。

80歳の傘寿までにと自分史をパソコンで創りあげた夫が、その後少しずつ物忘れが多くなってきました。
年相応の物忘れはみんなある、物忘れ競争では私も負けないと思っていますが、ある部分では確実に助けが必要になってきました。

今は、約束事も一生懸命記帳し、忘れない努力をしています。
でも、忘れます。おかげで、沢山の方が助けて下さって社会生活を送っています。

これからどれだけ介護が必要になるか、私の憂さ晴らしを書くことにし、ストレス発散と、経過観察記録になればと思います。

私の今の気持ちは、周囲のみなさんに、ご迷惑も顧みず、図々しく助けを請う事で、夫に社会の一員として今までどおりの生活を続けて欲しい。
その期間を少しでも長くしたいと思っています。

読書は大好き。その興味の範囲も広く深くなっています。
講演を聞きに行った後、どんな話だったか忘れることが多いが、書類など私が理解しにくいことでも正しく理解でき、私を助けてくれます。

テレビでは音楽や古典や大自然の営みなども好きです。近頃は、新聞のクイズや囲碁将棋の記事が好きです。

認知症を患い、今薬を飲んだか忘れても、物事の理解度や感性は少なくとも私以上です。

穏やかで謙虚な性格なので、問題行動が起こりにくいのか、まだそこまで進行していないのか分かりませんが、私はまだ比較的穏やかに対応できています。

でも時々きつい言葉がでることがあります。

そんな時は夫も怒りっぽくなり、夫は私の鏡のようだと気づかされます。

          

2012.6.27上野登志子

「くるみ」のスタートと総会

金環日食や金星と太陽など、日頃天文に関心の薄い私でも、空を見上げました。

私たち夫婦はやはり満月の夜空を見上げるのが一番好きです。

最近、空を見上げなくても、頭や体をおこして歩くことを意識するようになり、姿勢が良くなり、足に負担が少なくなっているように思います。それは、5月から始まった機能訓練型「デイサービスセンターくるみ」のおかげです。夜寝る時も枕の高さや背筋、足の位置を意識するようにしています。

腰椎が悪いため、20代は腰痛で、40代は左足がしびれて歩くのがつらいなど腰と膝には悩まされてきました。左足膝の半月板損傷など恐ろしい病名をつけられたこともありましたが、自分の弱いところを知り、うまく調節しながら付き合っていく事にしています。

職員の身体を守るため「くるみの機能訓練」を職員研修にも取り入れ事が出来、利用者だけでなく、元気な職員にも良かったと思っています。

皆様も体験利用も出来ますので、「くるみ」に気軽にお越しください。

4月27日の「くるみ」の開所式には、三郷町長はじめ行政・関係諸団体・地域代表及び法人会員の方々多数が出席下さいました。心から感謝申し上げます。

「くるみ」も新しい利用者が次第に増えています。機能訓練指導者が利用者一人ひとりの状態に合わせながら、みんなで楽しく取り組むプログラムをたて、職員がしっかり研修し、取り組んでいます。男性の利用者が楽しくきていただいているのは嬉しいことです。

さて、6月17日は年に1度の通常総会です。特定非営利活動法人は毎年1年間の事業報告と事業計画そして決算・予算案について、会員の承認を得ながら事業展開しています。

その資料は、奈良県で公開されますが、三郷サンサンハウスでも公開しています。

今年は2年に1度の役員改選の年です。総会で選ばれる役員は理事と監事ですが、14人の理事のうち、理事長だけが役員報酬を受け、7名が各事業所管理者(内部理事)、7人が事業所外の理事(外部理事)で、毎月1回は定例理事会を開いています。

理事会では、内部理事は、各事業所の利用状況、事業実施と成果、経営状況、課題や要望等を反映、外部理事は、その経験や見識により客観的な観点で事業の発展のために発言、総会で決められた方針や理念のもとに、法人の将来を見据えて多数決で決定します。

監事は、会計監査のみでなく、事業についても監査し特定非営利活動法人にふさわしい活動をしているか監査します。問題がある時は、理事会や臨時総会を招集出来ます。

特定非営利活動法人の事業収益は一般企業と違い役員に分配することは出来ません。収益(剰余金)は、次事業年度に繰越し、事業運営に活用します。

特定非営利活動法人(NPO法人)では、総会は最高決議機関です。今年も、多数の会員のお出でを楽しみにしています。

                                                     

2012.6.8上野登志子

2011年を振り返って

今年の言葉は「絆」(私の予想)ではないかと思われる波乱に満ちた2011年でした。

悲惨な出来事が続きました。だから、人と人との絆の有難さ・大切さが身にしみました。

みんな自分の出来ることで応援しています。
「サンサンまつり」に協力下さった多くの方が、被災者を支援したいという気持ちで参加下さいました。
ここで生まれた絆が職場に地域に大きく広がって欲しいと願います。

この様な1年でしたが、サンサンハウスでも色々ありました。
3月30日「奈良県社員シャイン職場づくり推進企業」として知事表彰を受けました。
社員が輝いて働ける職場として表彰されたのです。
確かに、職員のみなさんが利用者と向かい合っている姿は優しく輝いています。

でもこれは、1昨年頂いた「あったか介護賞」に当たるもので、 今回の企業表彰は、「家庭と職場」「介護や子育てと仕事」の両立を推進している企業として表彰されたのです。

育児休業や育児のための短時間勤務など出来ます。(これは当然ですよね)

受賞は名誉なことかもしれませんが、理事長として首をすくめたい思いです。

介護の世界は、仕事の内容も時間も大変です。
利用者、お年寄りに喜んでいただけた喜びで頑張っていますが、 低い賃金で歯を食いしばっている職員のことを考えると「社員シャイン職場」とは程遠いのが現状です。
役員報酬ゼロのNPOですらこの様な現状です。

小規模多機能事業など24時間利用者の在宅生活の支援を期待されながら、介護報酬は改善されない。
介護現場から離職者が出るのは、事業所の責任でしょうか。事業所や職員の努力には限界があります。
財政難を口実に福祉予算の削減や消費税のアップは、職員の笑顔を曇らせ、孤独なお年寄りを増やすことになります。

若い職員に胸を張ってサンサンハウスを引き継いでもらえるよう、どのような打開策を立てるか来年の課題です。

2011.12上野登志子

サンサンまつり

サンサンニュース10月号を発行し、11月6日の「サンサンまつり」を終え、いよいよ年末です。

これまでにない規模の「サンサンまつり」は、従来の職員中心から職員外の理事やボランティアと一緒に右成理事実行委員長を中心に企画しました。東信貴ヶ丘自治会館と隣接の児童公園を会場に、東信貴ヶ丘・三室両自治会と夕陽ヶ丘診療所のテントで子ども遊びコーナー、バザーや手作りお菓子や食べ物・喫茶コーナー、休憩所を設けました。

自治会館内では東日本や台風12号水害の写真展示や歌や腹話術など盛りだくさんの企画にもかかわらず、大勢の方にお出で頂き、にぎやかな楽しい1日となりました。

前日から雨、天気予報も雨にもかかわらず、あかねの里デイ利用者さんのテルテル坊主の大行列に雨雲も退散し、当日は雨も降らず感謝!感謝!です。

東日本震災救援チャリティーの売上利益金は10万円を超過達成することを目標にしました。自治会の回欄などのご協力で沢山の方からバザーの品が提供され、又趣旨に賛同された方々から、多額の寄付金が寄せられました。その結果、最終的には26万1989円という思いもよらない義援金が集まり、実行委員会では、その中の10万円を県内の水害被災地に、残りは、東北の被災された高齢者施設に送ることになりました。

被災者の皆さんがこれからの寒さの中、元気に新しい年を迎えて頂きたいとの願いを込めて、協力いただいた皆様の温かい心とともに送らせていただきます。

いろんな形でご協力くださった方々、まつりに参加頂いたみなさん、そして、各自治会・三郷町および駐車場を開放いただいた大蓮葬祭社様等…心からお礼申し上げます。

                            

2011.11.28上野登志子

定例総会

6月の定例総会には、たくさんご参集いただきましてありがとうございました。
今年は、役員改選の時期ではなかったのですが、理事の濱正之さんが退任され、欠員が3名ありましたので、2名補充いたしました。理事総数14名、その中内部理事(法人勤務者)7名、外部理事7名で理事会を構成しています。

今では、サンサンハウスの設立に関わっていらっしゃらない役員も増え、NPOについてや三郷サンサンハウスの理念を理解頂きながら、多種多様の勤務経験を活かした助言を頂き、法人として成長しています。

11月に予定していますサンサンまつりの実行委員にも参加頂き、右成理事には実行委員長を引き受けて頂きました。
外部理事皆さんのいろんな形での支援は、直接事業に携わる内部理事に大きな励ましを頂いています。

広く会員様のご協力を得て、東日本震災救援を目標としたサンサンまつりチャリティーイベントを成功させたいと思います。

よろしくお願い申し上げます。

                                                                  

2011.8.29上野登志子

春の訪れを願って

東北関東大震災は、原子力問題と複合的に大変な状況になっています。亡くなられ方、行方不明の方、そして残された被災者の方々の恐怖と無念さははかり知れません。3月11日からの20日間は地球の裏側まで行って来たような長い時間に思えます。
私の一番年上の孫娘(18歳)は当日仙台に着き、ホテルに向かう路上で地震にあいました。交通手段のない中、ホテルに居合わせた方々に助けられ数日後に無事帰ってきました。

雪の日もありましたが、確実に春が訪れ桜の花も咲き始めました。
復興に向け頑張っていらっしゃる被災者に行き届いた支援策が講じられ、1日も早く本当の春が訪れることを願っています。

三郷サンサンハウスとしては、先日「なら中小企業家同友会」からの救援物資を運ぶトラックで段ボール10箱を届け、事業所内で職員が自発的に救援募金に取り組んでいます。

無力な私たちですが、節電・省エネ・資源を大切になど出来ることからやっていきたいと思っています。

3月30日、三郷サンサンハウスは「社員シャイン職場づくり推進企業」として、県知事表彰を受けました。

知事選挙中の荒井知事に代り奥田副知事から表彰状と「奈良県は女性の就業率が低く、女性の就業を応援したいと、担当課長の時代にこの表彰制度づくりに携わった」と感慨深い祝辞を頂きました。

奈良県は「仕事と生活の調和」の推進のため、仕事と家庭の両立や多様な働き方などができる環境づくりを応援し、毎年それにむけて取り組んでいる企業を表彰しています。
平成22年度はNPO三郷サンサンハウスとアイ・ビ・ファイン(株)の2社が表彰されました。

まだまだ目標に程遠いサンサンハウスが表彰されてよいのかと躊躇していますが、これからに期待してのことと考え、これを機会にさらに目標にむけ取り組んでいきたいと考えています。

2011.3.31上野登志子

私の悩み

職員60名余り、事業所9つと成長(?)した我がサンサンハウス。これを支える本部事務局は大変ですが重要な仕事です。

女性が多い、賃金が安い、心技の能力アップとチームワークが必要、このような職場や職員を支えるため、「仕事と生活(家庭)の両立支援」 「キャリアアップ支援」「育児・介護休暇・休業の奨励」「職員研修や事業所別職員会議」「有給休暇取得促進」等働きやすい職場環境をつくっていく。

NPO三郷サンサンハウスの理念にそった、利用者や家族への支援、職員にとって働き甲斐のある職場づくり、そしてよき地域社会・環境づくり、等の課題に取組む。

年々問題が増えるあかねの里と萌の里の建物や車両管理、安全対策への対応。建設債を含めた財産管理、法人会員やボランティアや職員や利用者の人的財産の管理も重要です。
更に、6年半の歴史を踏まえ、確かな経営指針にもとづく経営方針の立案と取組も重要です。

この様な課題を前向きに取り組むためには、助成金や交付金や補助金の活用が大切ですが、この様なお金はじっとしていては貰えません。積極的に制度を調査し、必要書類を整え申請しなければなりません。

日常的な経理や給与計算や労務や庶務などの他にこの様な課題に取り組む事務局の仕事は膨大です。

いまの事務局職員は事業所の管理者の職責を果たしながら、このような縁の下の力持ちを引き受けています。これまでの経験を活かしてみよう。チャレンジ精神でやってみようという職員がしっかり定着するまで私の悩みは続きます。

今年一年多くの方にお世話になり、有難うございました。
皆様お元気でよい新年をお迎え下さい。

2010.12上野登志子

楽しい時間を過ごす

今年は奈良では平城遷都1300年祭をはじめいろんなイベントが開かれ経済効果の程はいかがでしょうか。

近くの広陵町の馬見丘陵公園の全国都市緑のフェステも参加予定を超え盛況のようです。近くですのにまだ行っていません。最後はダリアが美しいと聞いていますので、閉会までに一度はと思っています。

萌の利用者やあかねの利用者は季節の草花やこれからは紅葉を楽しみに出かけられます。老化をたどる私も豊かな心を保つ趣味や楽しい時間が大切と、この秋には思い切って地域の老人会の1泊旅行で四国へ、11月には自治会主催のバスツアーで和歌山に行きました。久しぶりに懐かしい方々に会えて、行ってよかった〜と。たまった仕事を夜遅くまでしても、心は軽く、リフレッシュ効果満点です。 一方、少しはストレスがある方が良いとか。私にとって踊りは楽しみでもありストレス発生のもとでもあります。
11月の新舞踊の会でおどるのは、1曲はお芝居調で恋の情念を島津亜矢が歌った「お梶」、もう1曲はテンポが速く力強いリズムの坂本冬美の「アジアの海賊」です。共に一番不得手な分野で、ストレスの塊になっています。最近寝つきがとても悪くなっていますが、この踊りに原因があるようです。

体を動かし自己表現することはとても気持ちが良いことですが、他人様に見ていただくとなるとまた別です。ロックやマンボのリズムに合わせ、はっぴ・鉢巻で踊る高齢者のグループに月1回参加しています。
これは、NPOで事業をはじめるにあたり参加した高齢者コーディネーター講習会で、修了課題に「若者がおどるロックソーランを高齢者もおどろう」をテーマに取り組んだことがきっかけです。

当時ブームを起こした「南中ソーラン」は、北海道稚内の南中学校で伊藤多喜雄の歌うロックソーランのリズムに南中の先生が振付をし、生徒が熱中して踊る中で、荒廃していた学校が立ち直っていったということで有名になった曲です。この曲に高齢者でも踊れるよう振り付けし、みんなで踊ることにしました。

その時生まれた「奈良ロックソーランの会」は10年近く続いて、奈良県の長寿の祭典や老人施設慰問などお声がかかると出かけています。60代から80代まで、月1〜2回の練習で決して上手とは言えませんが、どこかで出演となるたびに強まるストレスもものともせず皆さん元気に踊っています。

2010.11上野登志子

6周年を迎えて

熱い熱い夏。熱中症など心配な夏です。

今日は8月6日広島に原爆が投下された日。閃光で影まで焼きつき、幼子からお年寄りまで何の罪もないたくさんの命が奪われ、今日なおたくさんの方が、後遺症や心の傷に苦しまれています。この尊い犠牲の上に、また、今日の式典に参加されている方々などノーモア―広島を訴え続けて下さっている力で、何とか保たれている日本の平和。そのことに改めて感謝し、私に与えられた使命を全うしなければ申し訳ないと反省しています。6月の総会後に書いた記事が今日になりましたがご覧ください。

5月30日「サンサンまつり」、6月13日「NPO三郷サンサンハウス総会」と新年度早々の行事も終わり、一息ついたところです。
6周年を祝うサンサンまつりは、萌の里で模擬店やフリーマーケットに沢山参加いただき盛況に終わりました。昨年好評のチンドン屋さんは、町内の他事業所まで訪問し、たくさんのお年寄りに喜んでいただきました。ただし、萌の里のご近所の方には大変ご迷惑をおかけし、みんなで反省しているところです。当日の行事として、あかねの里のある東信貴ヶ丘自治会館では認知症についての学習会を開き、そのあと、デイサービスあかねの里利用のご家族と職員の懇談会は時間が足りないほど話しが弾みました。今総会は、2年に1度の役員改選の年です。2人の理事が退任され、代って新理事が2名加わり、出発します。2名の監事のうち1名が新しい方に変更しました。

今回も私上野が理事長を務め、副理事長には明山久子様にお引き受けいただきました。よろしくご指導、ご支援頂きますようお願い致します。

お陰さまで、小規模多機能ホーム萌の里の利用者も増え、また多様な支援を必要とする方が増え、ハローワークを通じ職員を募集しています。ネットで募集を知った。ホームページで事業所内容を調べたと応募される方が半数以上です。そこで、このページでもただ今募集中をお知らせします。NPOの理念を共有し地域を支える力になって下さる方なら年齢・資格を問いませんご応募ください。

    ≪ただいま募集中≫
  1. 小規模多機能ホーム萌の里の常勤看護師・常勤介護職員
    非常勤介護職員(ヘルパー資格なしでも可)
  2. ヘルパーステーションの非常勤ヘルパー
  3. 働きながら資格(2級ヘルパー、介護福祉士)を取りたい方
    (萌の里及びデイサービスあかねの里職員)
  4. 福祉タクシー運転手(ヘルパー及び自動車2種免許有資格者)
    (住まいが近くの方で運転手の手が不足な時応援で乗務下さる方)
  5. たすけあいの会で活動できる方

子育て中のお母さん、退職後の余暇を利用したい方等時間に応じて働いていただけます。
ご一報ください。

2010.8上野登志子

団塊の世代のみなさんへ

大不況の嵐はまだまだつづくようです。その影響を受けて大変なご家庭も多いでしょう。
職を失って住むところもない方々の失意と悲しみの顔をテレビで見るにつけ、今の政治への怒りと失望を感じます。

夜勤者や宿直職員不足で悩んでいる当法人としては、このような方々の力がお借りできたらと考えますが、まだまだネットワークが小さいのが現状です。

「働く職員特に若い職員が将来の生活設計への希望が持てる賃金補償」これが、私たちの第2の理念の具体的課題です。
職員の労働条件を改善するために高齢者への利用料の負担をお願いするのは大変つらいことです。
受益者負担を平気な顔で言える政治家には、私たちの悩みは通じないのでしょうが、高齢化する地域を支えるためにと厳しい条件の中頑張っている職員たちにも陽が当たる社会になることを切望します。

当法人を立ち上げた力は、高齢者のパワーでした。
今も高齢者がしっかり支えていますが、事業を引き継ぐ若い力も育っています。
それを応援する力の輪を大きく強くすることが求められています。
お陰さまで「サロン」や「たすけあいの会」でも、定年退職者のボランティアの参加が増え、高齢者の豊かな経験と能力が活動を豊かにしています。

当法人が加盟している「高齢者の施設づくりをすすめる近畿連絡会」では、団塊の世代の方に次のようなメッセージを発信しています。私たちも皆様の参加をお待ちしています。

2009.2上野登志子

【団塊の世代のみなさんへのメッセージ】

高齢者の施設づくりをすすめる近畿連絡会代表世話人  藤垣 全弘

団塊の世代のみなさん、ご苦労様です!
いまみなさんは、それぞれの知恵や、経験を発揮して、日本の社会に貢献してきて、定年を迎えられようとしています。

あなたがた団塊の世代のみなさんは、いま輝いています。みなさん方は、戦後の憲法に守られ、自己主張を学び、権利を学んできた“創造世代”です。
そしてこれからは、束縛されずに自らの選択で、第2の人生をスタートする世代です。

みなさんは、これから何をしようとしておられますか。
第2の人生! 生きがいを持ち、楽しく生きるかどうかは、あなた自身の選択にかかっています。

みなさん、地域に目を向けてください。

ひとり住まいの高齢者の孤独死、老老介護を含めた介護心中が大きく報道される中で、高齢者が、いま住んでいる街なかで安心して豊かに暮らせるようにと、宅老所やデイサービス、認知症グループホーム、小規模多機能施設などの、地域での高齢者の「居場所」づくりに、力を合わせている人たちが数多くおられます。

このような人たちは、その高齢者たちが楽しく、生き生きと暮らしていること、認知症の人も障害者もその残された能力を発揮してきていることに、自らの喜び、生きがいを感じています。

この問題はまた、他人事ではなく、近い将来の自身の問題でもあります。

私たちの「高齢者の施設づくりをすすめる近畿連絡会」は、この10年ほどの間に、近畿圏の2府4県に、このような地域の草の根の仲間に広がり、お互いの喜びや悩みや、知恵や経験を交流し合うまでにひろがってきています。
また高齢者の介護・福祉に関わる国、自治体の法・制度の改善のための要請行動も積極的に取り組んできました。

団塊のみなさん!
このような、高齢者の「居場所」づくりに参加してみませんか。

是非みなさんのご参加と大いなるご意見もお待ちしております。
明日に希望がもてる社会づくり、地域づくりをともに共有しようではありませんか!

新しい年を迎えて

新しい年が始まりました。介護保険の3年に1度の改定の年です。

2006年の改定では利用者にも事業所にも利用制限や介護認定の軽度化で大変な3年間でした。
三郷町周辺でも、ヘルパーステーションを閉鎖する事業所が増えています。

今年の改定でも、昨年の予測では少し期待できるかと思っていたのですが、ぬか喜びのようです。

年頭の賀状のように、一人でも多くの方に喜んでいただけるよう、事業所の土台をしっかり固める1年にしてまいります。

今年もご支援よろしくお願いいたします。私の年頭のご挨拶もつけ添えます。

2009.1上野登志子

創設5年めを迎えて

マイホームを求めて三郷町に転居して来たのが昭和42年の12月、天王寺から トンネルを1つ、2つと通り過ぎるにつれ、島流しにあったような寂しい思いがしたものです。それからもう40年が過ぎ、今では私にとって離れられない、住み慣れた町になりました。

子どもたちの重荷にならないよう、最後までこの町で支えあって暮らしていきた いとの思いを同じくする友人たちと、1人で暮らせなくなった時お世話になれるような高齢者の家をつくろうと、NPO法人をつくりました。平成16年、みんな で建設した「あかねの里」の高齢者の家の完成にあわせて、入居者の暮らしを支えるために介護事業をはじめました。

当時は、いつか世話になるわが身、お役に立つ間は、お世話させていただこう と、理事長役をひきうけました。何も分からないから軽い気持ちで引き受けたのですが、やってみれば大役。

私のようなキャリアも経験もない者がこれまで何とか続けてこられたのは、この 事業を自分のこととして支え、応援してくださった、会員や職場の皆様、そして地域の皆様の支えと町長はじめ行政の理解が得られたからです。

創設5年まだまだ創業期ですが、創るときはみんなの熱い思いで始めても、継続 することはもっと困難で、しっかり勉強しなくてはと力のなさを痛感しています。

若い人にバトンタッチするにも、科学性、社会性、人間性に裏付けされた経営 理念、経営指針をつくり、職員みんなのものにし、さらに、みんなで、実践し検 証しさらに改革していける基を創りたいと重い心を奮い立たせています。そのう ち、ホームページでもご報告できるよう頑張りたいと思っています。

2008.9.8上野登志子

理事会の強化

今年度の総会を6月8日に開き、これから2年間の役員が決まりました。理事10名を15名に増やし、職場の全管理者が理事に、また、異業種の経験豊かな方々にも理事に加わっていただき、理事会の強化を図りました。

6月はボーナスの月、大企業では多額のボーナスが出たのでしょうか?

三郷サンサンハウスは、短時間勤務職員も常勤職員も同率の賞与を払っています。

介護事業全般が厳しい経営を迫られています。3月に期末手当0.5ヶ月分を出しましたが、6月の賞与は昨年より減り0.5ヶ月分となり、職員のみなさまの期待を裏切ることになりました。年末にはせめて1ヶ月分の賞与が出るよう頑張りたいと思います。

今春から、新しい職員が増え、また、中堅幹部職員の成長で、各事業所がしっかり自立できるようになりました。機会がありましたら「あかねの里」や「萌の里」においでいただき利用者様の良い顔をご覧ください。

2008.7.1上野登志子

総会を終えて

6月17日東信貴ヶ丘自治会館にて午前10時より18年度事業報告会、11時より第5回定例総会を開催しました。

会員多数のご出席を頂きありがとうございました。若い職員が次々と各事業報告をし、会員様から、パワーがあふれるのを感じますとうれしい感想をいただきました。

平成16年3月末の「あかねの里」完成と前後し、1月から居宅介護支援事業所とヘルパーステーションが、4月から高齢者の家とデイサービス事業がはじまりました。

「あかねの里」ができて安心や!」とおっしゃってくださる地域の皆様の期待に対し、ご利用者や入居者だけでなく、高齢化する地域を支える事業所として何が必要か?を模索して参りました。

この3年間、サンサンサロン、たすけあいの会、外出支援事業そして、介護タクシー事業も手がけることになりました。

職員の熱い思いで始めましたが、このようなボランティア的な事業が今日まで継続し、成長してきたのは、会員様や地域の方々のご協力のおかげです。
今年の3月からはじめた、小規模多機能萌の里はまだ利用者6名ですが、2、3ヶ月の間に職員と利用者様とでつくりあげた、暖かい自然の流れの中で、ゆったりとしたいい時間が流れています。
「これが小規模多機能なんだ」と利用者様のご様子や笑顔を見て感動しています。
ぜひ一度萌の里にお越しください。

高齢者の家あかねの里では、6月17日夜8時50分入居者のY様が亡くなられました。
5月末から入院され、ご家族の優しいお世話やヘルパーさんたちの応援の甲斐もなく、永眠されました。
ご冥福をお祈りいたします。
まだ70代半ば、入居されて1年余りの短い間ですが、病とたたかいながら、台所のお手伝いも嬉々として参加され、明るい笑い声が印象的なY様、総会が終わるのを待って逝ってしまわれたのも気遣いの行き届いたY様らしく、もう少しあかねの生活を楽しんでいただきたかったのにと無念です。

あかねの里は、ヘルパーとスタッフだけの介助、見守りでターミナルケアーができるところではありません。
ただ、ご家族と一緒になって、最後までお世話をしたいと考えています。
別れは必ず来るのですが、覚悟していた別れも、つらく悲しく重いものです。
入居者の皆様には一日一日を大切に、楽しいくつろいだ時間をすごしていただくために、ヘルパーやスタッフが知恵と力を合わせてケアーに取り組んでいきます。

2007.7.3上野登志子

小規模多機能型介護事業

あっという間に1年が過ぎようとしています。

いつもこの時期になるといっぱい遣り残したことがあるようで、この1年は何をしてきたのだろうと考えてしまいます。
今年の大きな課題は、小規模多機能型居宅型介護事業に取り組むことです。

小規模多機能型居宅介護事業のくわしい内容につきましては、新しくホームページでご案内します。

1年かけて事業所にできる場所を探してきました。
最終的に明治橋近くに借家をかり、改装工事の準備中に浄化槽問題で使用を断念せざるを得なくなりました。

11月にはオープン予定でしたが振り出しに戻りました。職員の大奮闘の結果、三室に候補地を見つけました。

これは、借家ではなく購入になりますので、臨時総会や、金融公庫からの借り入れなど、当法人はじめての経験をいっぱいしました。

12月4日には工務店への現場説明会もすみ、18日入札までこぎつけました。
今思えば嵐が過ぎ去った感じですが、3月開設に向けまだまだ課題山積みです。

12月6日、国土交通省国土技術政策総合研究所住宅研究部住宅計画研究室から米野(めの)博士が「高齢者の家あかねの里」について聞き取り調査に来られました。

昨年春に実施された「住まいに関連した活動を行うNPOの実態調査」にもとづき、注目する実践について追求調査をされているようです。

「高齢者の家」が注目されたのは有難いことで、職員、ボランティアそして入居者のみなさまが日々の暮らしを大切に、あかねの里をより良い住まいにして下さっている努力を国の政策にどう活かされるのか、注目したいところです。

2006.12.7上野登志子

私の夏休み

暑中お見舞い申し上げます。 みなさまおげんきですか。

夏休みになりましたネ。でも、子どもたちの声も聞こえず、寂しい町になりました。

この事業が始まって3年近く、家族とゆっくり旅行もできませんでしたが、学校が夏休みになるとすぐ7月21日から26日まで、北海道旅行をしてきました。

出発の頃はまだ梅雨の長雨で、日本各地で被害が続出。我が家の周りでは、まだ、鶯の鳴き声が聞こえ、気象異変かと案じていました。奈良へ帰ると、梅雨も空け、鶯に代わりせみ時雨と連日の猛暑で「真夏」と実感しています。

北海道の旅は、夫が計画。以前から、小樽や函館を知らない私を連れて行く約束を実行したのです。

夫は図書館から地図や時刻表や資料を借りてきては、毎日計画づくりを楽しんでいました。

旅の連れも、夫婦2人から、私の妹、孫3人の6人連れにふくらみ、飛行機ではなく、上野発の夜行列車となっていました。
夫の計画を下に、中学2年の孫娘が「しおり」を作成。旅の持ち物から注意事項、毎日のスケジュール表(列車や行き先が一目で分かり大助かり)、そして、クイズまで入っている楽しいものでした。
小学5年、4年の孫は大人の荷物を持つことを決意して参加したようで、私たちの手荷物を率先して持ってくれました。長い列車の旅もトランプやおしゃべりで、私たちも童心に返って楽しみました。

函館から旭川までの旅は、旭山動物園でも孫たちのリードで効率的に、動物達の生活を見学でき、レンタカーで美瑛まで足をのばし、広大な丘陵に色とりどりの花、白いそば畑や木立など美しい風景に歓声。アイヌ民族資料館や新十津川村へも行ってきました。

新十津川村は奈良県の十津川村の人達が、山津波で村がなくなり、移住し開拓した村です。今は、苦労の跡形も見えず、広々とした大自然に包まれた美しい村です。

昭和初期の新十津川村の村長の息子「西田信春さん」は、帝大を卒業後、反戦・解放運動に参加し、治安維持法の名の下に若くして官憲に虐殺されたそうです。村の人達は西田信春さんの記念碑を建て当時を伝え守っています。

私たちもこの記念碑を訪ねることが出来ました。

小樽でも、文学館を見学し、石川啄木や小林多喜二の資料を見学しました。孫達が大切な歴史を学ぶ機会を得たこと、中2の孫が、西田信春さんの碑文をしっかり朗読でき、屯田兵やアイヌ民族、小林多喜二などを学んでいたことがわかり、嬉しい、いい思い出が出来ました。

次回は下の4人の孫も連れて行ける旅が計画できるよう、夫の健康にあらためて感謝しています。
あかねの里の方たちに目が行っていた日々の生活の中で、家族の健康の大切さにも目を向ける機会になりました。

ケアプラン難民

今回は「ケアプラン難民」について書いてみます。

今年4月からの介護保険制度の改訂で、ケアプラン難民が生まれる心配が出ています。

皆さん、ご存知と思いますが、介護保険サービスを利用したいときは、介護認定を受けます。
要支援1・2の認定者は介護予防サービスを、要介護1〜5の認定者は介護サービスを利用します。

要支援者の介護予防プランは、地域包括支援センター(三郷町は老人福祉センター内にあります。)に一元化され、そこで手が廻らない利用者を民間のケアマネージャーに委託します。要介護認定者のケアプランは、利用者夫々が選んだケアマネージャーに作成してもらいます。

ケアマネージャー(介護支援専門員)は、住宅改修やヘルパー・デイサービスなどいろんな介護サービスの利用計 (ケアプラン)をつくり、居宅生活を続けていけるよう支援する、介護保険サービスの利用の窓口の役割を担っています。

ところが、この大切なケアマネージャーの仕事が大きく制限されることになりました。

1つは、要支援認定者の予防給付プラン料が4000円と低く、地域包括支援センターからケアマネージャーへの委託料は三郷町では月3600円で要介護認定者のケアプラン料のわずか3割です。その上、ケアマネージャーが委託できる要支援者の上限は8名です。しかも、その要支援1・2の利用者8人を要介護者数に換算して4人とし、要介護1〜5の35人を合わせ39名がケアマネージャー一人の担当できる上限で、40名以上になると大幅に報酬が下がります。

それでなくても、赤字経営になる居宅介護支援事業は立ち行かなくなります。逆に重度者を多く担当し、要支援者を1人も受けない事業所には特定事業所加算がつきます。

今、介護認定が厳しくなり、これまで要介護者要支援に認定変更され、要支援対象者がますます増えています。
そのような中、良心的なケアマネージャーが酔う支援者8人の枠いっぱいを担当しても、引き受け手のない利用者「ケアプラン難民」が出てきます。このようなケアプラン難民をださず、支援や介護の必要な高齢者が介護保険で安心して暮らせるように介護保険法の改正を求める声が広がっています。

また、自分のプランは自分で作成する「マイケアプラン」の運動が起こり、ボランティアによるケアプラン作成支援活動が始まっています。

私ももそのようなお手伝いが出来るよう勉強したいと考えています。
お困りの 方、興味のある方はご連絡ください。